涙で日本酒がしょっぱくなるほど号泣、仲間に救われ、人生の教訓を学び、人生が激変したストーリー

涙で日本酒がしょっぱくなるほど号泣、

仲間に救われ、人生の教訓を学び、

人生が激変したストーリー

 

本

 

はじめまして、西村敏(にしむらさとし)と申します。

 

この度は、私の「涙で日本酒がしょっぱくなるほど号泣、仲間に救われ、人生の教訓を学び、人生が激変したストーリー」ページにアクセスしていただき、ありがとうございます。

 

このページでは

 

  • もっと幸せな人生を送りたいと思っている人
  • 副業・起業でビジネスをゼロから作っていきたい人
  • ビジネスの方針転換をしたい人

 

に向けて、「涙で日本酒がしょっぱくなるほど号泣し、仲間に救われることで得た、人生が激変するほどの教訓」をお話していきます。

 

 

私はこのとき学んだ教訓のおかげで、オリンピック選手のメンタルコーチングをさせていただく機会を頂いたり、半年で30万円のコンサルティングサービスを83.3%のお客様にリピートしていただいたり、年商40億円の化粧品メーカーの社長さんから協業のご提案を頂いたり、することができました。

 

オフィス

 

私から今回の教訓を学んだ人たちからは

 

「パートナーとケンカして家出することもあったけど、今では仲良く過ごせるようになりました!」
「仕事でお客様に喜んでもらえることが増えて、売り込まなくても商品を買ってもらえるようになりました!」
「周りの人に笑ってもらえるようになり、自分も元気に過ごせるようになりました」

 

などの報告も数多くいただけます。

 

そんな人生が変わる教訓をお話していきますので、これから5分~10分ほどお付き合いいただけたら嬉しいです。

 

 

ジブリのような家

 

ジブリのような家

 

1986年の8月。私は長野県の千曲市で生まれました。

 

今でこそ新築マンション最上階の角部屋に住めるようになりましたが(でも場所的には家賃が安い地域です(笑))、私が生まれたときの実家はジブリ映画に出てきそうなくらいボロボロでした。

 

玄関からリビングまでの廊下は薄暗く、日焼けした畳、穴が開いたふすま、トイレは和式のぼっとん便所・・・。

 

私はそんなボロボロの家で、指をペロッと舐めてふすまに穴をあけて遊び、母親に「コラッ、やめなさい!」と怒られるようなやんちゃな子供でした。

 

 

そうそう、家の道路が坂になっていて、坂の先にはコンクリートで|_|←な形状に固められた川があったんですよ。
(水の流量は幼稚園児が流されたら溺れて死ぬくらい)

 

駐車場でボールを蹴って遊んでいたら道路にボールが出ちゃって、そのまま転がっていき川に流されてしまったことがありました。

 

 

ある日、幼き日の私は、アンパンマンの顔が付いた車のおもちゃ(子供が乗って足でこいで遊ぶタイヤが付いたやつ)を外に持ち出し、父と一緒にその坂になった道路で遊び始めました。

 

最初は、車のおもちゃに乗って地面についた足を離すと、足でこがなくても進む感じに「おーっ!」って楽しんでました。

 

当然ブレーキなんてついてないんで、子供ながらに最初は慎重に遊んでたんですね。

 

 

しかし、調子に乗り始め・・・。

 

突然一気に「ワーッ!」っと足を離してしまいました。

 

川に向かって加速

 

車のおもちゃは一気に加速し、川に向かって一直線。

 

父親は「待て―!!!」と後ろから全力で追いかけてきます。

 

私はもう、出過ぎたスピードにビビり顔面蒼白で体が硬直していました。

 

 

父親に「足を付けー!!!」と叫ばれ我に返った私は、なんとか足で踏ん張って、川の1メートル手前くらいでなんとか止まれました。

 

 

やんちゃすぎですよね。
ホント一歩間違えれば死んでました。

 

 

このときばかりは本気で怒られましたけど。(笑)

 

 

こんな感じでたくさん怒られた幼少期だったんですが、本当に無邪気にただただ楽しく遊べていて、怒られながらも家の中では家族がみんな笑っていて、なんか温かい感じがあって、今思い出すだけでもじわっと涙が出てくるほど幸せな時間でした。

 

本当にボロッボロの家で貧乏だったのに、それが気にならないほどの強烈な温かさというか幸福感があったのです。

 

あえて映像化するなら、思い出の風景に光が当たって、良い意味で少しもやがかかってて、まぶしくてキラキラしている感じです。

 

 

しかし、そんな幸せも長くは続きませんでした。

 

 

 

父の癌・家庭崩壊・いじめ・・・バラバラになっていく世界

 

バラバラになっていく世界

 

私が小学校に入る頃、両親は念願のマイホームを買いました。

 

引っ越しする前に両親と新しい家を見に行ったとき、私は「ここに住むの?」と聞きながら、とってもワクワクしていました。

 

今思えば、そのときの両親の目も、希望に満ち溢れ輝いていたように思います。

 

 

新しい家に移り住み、新しい庭で父親とキャッチボールをしたり(←そういえば、引っ越し1か月でガラス割って怒られました(笑))、冬は弟たちと庭に積もった雪で雪遊びをしたりしました。

 

新しい家で幸せが増えた、そう思ってました。

 

 

しかし、私が中学生になった頃、家族に大事件が起こりました。

 

 

父親に癌が見つかったのです。

 

 

父親が癌と診断されたときにはすでに症状が進んでいました。

 

手術して奇跡的に取り切れれば何とか・・・、というところでしたが、手術をしてみたら取り切れないほど転移してしまっていました。

 

 

手術が終わって数日たったある日の夜、母が私の部屋に来ました。

 

そして、母は私にこう言いました。

 

「長男だからあんただけに言っておくけど、お父さん、余命3か月だって言われちゃったから・・・。」

 

私は「あぁ、わかった。」というのが精一杯でした。

 

 

ですが父は、ここで奇跡の生還を果たします。

 

 

余命宣告を乗り越え、退院し、仕事復帰することができたのです。

 

 

しかし・・・。

 

父が会社に復帰したとき、もともとのポジションに席はありませんでした。

 

 

癌から社会復帰した父に待っていたのは、降格と窓際部署への異動だったのです。

 

窓際

 

父は仕事人間でした。

 

癌になる前は真面目に毎日会社に行き、休みの日も仕事の役に立つ資格を取りに行くくらい仕事熱心で。

 

 

そうやってやっと手に入れた昇進。

 

それが癌になってパアになってしまった・・・。

 

 

今まで頑張ってきたことを粉々に打ち砕かれた父は、ギャンブルに走るようになりました。

 

休みの日は競馬仲間と朝から競馬をして、お金が足りなくなると消費者金融で借金をしてまでギャンブルしていたんですよね。
(↑消費者金融の借金は葬式に後に発覚したんですけど)

 

 

家では、母と父の関係がぎくしゃくし、ケンカが増えました。

 

まだ大声でケンカしているくらいだったら良かったのですが、次第に母と父の会話が一切なくなり、家庭内別居状態になってたんですよ。

 

 

温かく幸せな雰囲気があった家庭内は、重く暗くどんよりした空気が常に漂うようになってました。

 

ちょうど思春期だった私は、そんな両親に関わりたくないと思い、距離を取るようにしてたんですよね。

 

そうやって私の家族は、みんながバラバラになっていったのです。

 

 

家庭の空気の影響を受けたのか、私のやんちゃは身を潜め、性格がどんどん暗くなっていきました。

 

高校に入ると、自信なさげな雰囲気で、小さな声でボソボソしゃべるので、いじめの対象になりました。

 

ちょっとしたしぐさを真似されてクスクス笑われたり、

 

ペンケースのジッパーの部分のわっかとペンケースについているわっかを南京錠で繋がれてペンケースを開けられない状態にされたり、

 

文化祭で白のTシャツにみんなでメッセージを書き合うときには私のTシャツには男性器を書かれたり、

 

と、思い出すだけでも暗くなるようなことがいろいろありました。

 

 

もう常にどうやったらいじめられないかを考えていて、ちょっとでも間違えたら笑われるので、間違えずに正確にやること、目立たず普通に終わらせること、を常に意識してましたね。

 

おかげで良くも悪くもずる賢くはなりました。

 

これが後で活きることになるとはこのときは気づいていませんでした。

 

 

そんな中私が高校3年生のとき、父はパチンコ屋で脳梗塞で倒れたところを救急車で運ばれました。

 

病院につくと、集中治療室の中で父は、左半身が全く動かない半身不随になり、「うぅ~」「おぅ~」としかしゃべることができなくなっていました。

 

 

そんな父を見た私は、頭が真っ白になりました。

 

それと同時に、なんかもう父とか関係なく、ただそこにいるもう動けなくなったただ一人の人間を見て、「人の人生っていったい何なんだろう?」と考えてしまいました。

 

 

今考えると、父のおかげで家族の暖かさを知れたり、「人生とは?」を人より早く考えられるようになったり、出来るようになったと感謝しています。

 

 

しかし、当時の私はそう思うことができず、

 

「父のような人生にはなりたくない!」

 

と強く思うようになってたんですよね。

 

 

この想いが、さらに私の人生を狂わせていくことになります。

 

 

 

信じれるのは自分だけ・・・

 

信じられるのは自分だけ

 

父を冷遇した会社って組織も信用できない。

 

いじめられて他人も信用できない。

 

 

そうなった私は、お金と自分の力があればいいんだと思うようになっていました。

 

 

大学進学で東京に出た私は、落とさずに単位を取ることとバイトをすることに集中するようになりました。

 

 

ここでずる賢さが活きるようになります。

 

 

大学では単位を取るには、普通はテストで最低限の点数を取らないといけませんよね。

 

でも私は、頭が良くなかった(推薦でたまたま実力以上の大学に行けてしまった)ので、テストだけに賭けるのはリスキーでした。

 

それに、単位を落として1学年下の人と一緒に学ぶなんてプライドが許さない!って思っていました。

 

プライドだけは高かったんですよね(笑)。

 

 

じゃあどうしたか?

 

私が通っていた大学では、授業によっては「任意の宿題」みたいなものがあったんですよ。

 

まぁでも任意の宿題なんて誰もやらないじゃないですか。

 

そこで私は、あえて一人任意の宿題をやって、教授の心証を良くして、テストで点数が取れなくても救ってもらおうと工作してました。

 

ホントずる賢いですよねー(笑)

 

 

でも実際それで、明らかにテストで点数が取れなかった科目もギリギリ単位をもらえたってことがあったんです。

 

 

それで、やっぱ俺って頭いいな、とかうぬぼれていました。

 

 

さらにバイトでは、高級鉄板焼き屋で皿洗いのバイトをしていました。

 

そこの料理長は、本場フランスのミシュラン三ツ星のレストランで最年少副料理長になったほどの実力がある人でした。

 

 

クッソ厳しい人で、仕事中は怒号の連発なのですが、ある日厨房で二人きりで仕事をしていたときにボソッと「君、地頭いいんだから普通で終わっちゃダメだよ。」と言われました。

 

おそらく今考えると、うぬぼれていることとか全部見抜かれていて、「もっと上を目指せよ!」って激励だったと思います。

 

 

でも当時の私は、(やっぱ俺、特別な人間じゃん。)とさらに勘違いすることになりました。

 

正直、自分で自分のことを特別な人間だ!と思うことで、俺は父親とは違う!って思いたかったんだと思います。

 

 

そうやって勘違いしたまま、私は就職しました。

 

 

一部上場企業の正社員になって、給料も同世代と比べたらソコソコもらえていて、悪くはない人生になりました。

 

しかし、次第に残業時間が増えていって、酷いときには朝5時30分まで残業して、朝8時30分に出社する、なんてこともありました。

 

月80時間の残業は当たり前で、自律神経を壊し、鬱になって会社を辞めていく同期や先輩がたくさんいたんですよね。

 

 

このままいくと・・・、父と同じような人生になる・・・。

 

 

仕事を頑張りすぎて、病気になって、会社に捨てられて、気付いたら何も残らない・・・、そんな父のような人生になり始めていることに恐怖を感じました。

 

 

「父親のようにはなりたくない!」

 

と決めて人生を作ってきたはずなのに、そうなりたくない人生になってしまった。

 

 

そんなはずはない!だって俺は特別な人間なんだ!

 

そう思いたかった。

 

そう思わないと、自分の人生がすべて無駄なように感じて頭がグワーッとおかしくなりそうだった。

 

 

私は、特別な自分を演出するために、人とは違う行動をし始めました。

 

 

 

父親のような人生との決別

 

決別

 

もし無感情になって人生を諦めていたら、きっと何か行動を起こそうとは思わなかったでしょう。

 

だから、父のようにはなりたくない、特別な人間だ、と思ったのも、今に繋がる最初の行動に繋がったという意味では良い面もあったなって今では思ってます。

 

でも当時は、それゆえの苦しさもあったし、なんかこれで本当にいいのかな?って思いながら生きていました。

 

 

父のような人生から脱却して、もっと違う人生を生きたい。

 

そう思っても、当時の私は方法がわかりませんでした。

 

 

そこで、書店に行って何かヒントになる本をないかと探しました。

 

書店の中を3周くらいグルグル回って、何かないかなぁと探していたと思います。

 

ふと手に取ったのは「金持ち父さん貧乏父さん」でした。

 

 

家にいるときも会社の休憩時間も、空いている時間はずっと「金持ち父さん貧乏父さん」を読んでいました。

 

「金持ち父さん貧乏父さん」には、

 

『お金を生み出す仕組みを作って労働生活から脱却しよう!』

 

と書いてありました。

 

 

なるほど、お金か。

 

 

確かに、お金があって会社に行かなくても生活できるようになれば、そもそも会社に行かなくてよくなるので、サラリーマンで会社に捨てられる恐れもなくなる。

 

 

私は、いいじゃん!それを目指そう!って思ったんですよね。

 

 

そこからまた書店に行って、お金関連の本を10冊くらい買い、ひたすら読み漁る毎日。

 

 

その本の中に音声CDがついている本がありました。

 

その音声CDを通勤の車の中で聞いていると、「ネットビジネス」という、初めて聞くビジネスが出てきたんですよ。

 

 

「ネットビジネス」とは、初期費用がほとんどなしで始めることができるし、会社員をやりながらでもスタートできるし、在庫もナシで利益率も高いから大きく稼げるようにもなるし、最終的に仕組み化すれば自動でお金を生み出す装置にもなるから、最強だ、と。

 

音声でしゃべっていた方も、田舎の工場勤務で月収15万円しかなくて、これじゃヤバいと思ってネットビジネスを始め、ネットビジネスで稼いだ後は不動産投資もして、お金には困らなくなった、と言っていました。

 

だから、これからビジネスしたいんだったら「ネットビジネス」しかないよ、と。

 

 

私は、これしかない!と思いました。

 

 

その日から私は、「ネットビジネス」のことをネットで調べたり、PDF教材を買って読み漁り、音声セミナーを通勤時の車でひたすら聞いて、勉強し実践していきました。

 

ネットビジネス

 

私はもともと、パソコンなんて会社でメール、パワーポイントでの資料作り、ネットサーフィンくらいでしか使ったことがありませんでした。

 

ブログなんて作ったこともない。

 

そんな私ができるのか?とやっぱり最初は思いましたよ。

 

 

でも、「ネットビジネス」で稼げるようになった人は、みんなできないところからのスタートだったというので、自分にもなんとかできるだろうって思うようにしました。

 

今思うと、出来ないって思ったらまた父のような人生に逆戻りになるのが怖かったから、出来るまでやるって気持ちになれていたのかもしれません。

 

そう考えると「出来るまでやる」って成功者マインドを身につけるために、過去に色々見せられてきたのかも、とも思います。

 

 

とにかくガムシャラにやりましたねー。

 

どんなに残業しても1日2~3時間は作業して、金土の次の日が休みのときには朝5時まで作業して、ぶっ倒れるように寝る、なんてこともありました。

 

会社や友人の飲み会も全て断っていました。

 

とにかく365日24時間「ネットビジネス」のことを考えていました。

 

 

すると、「ネットビジネス」で月30万円稼ぐ仕組みを作ることができたんです。

 

 

そして、2014年7月、私は会社を辞めて起業しました。

 

 

起業して俺の人生は成功だ!

 

これから自由な人生が始まる!

 

本当の人生だ!

 

 

そう思って、私の心はワクワクしていました。

 

 

最高の人生になる、はずだったのに。

 

 

 

若くしてセミリタイア

 

セミリタイア

 

起業したっていっても「ネットビジネス」で毎月30万円が自動で入ってくる状態でした。

 

何もしなくても口座には毎月30万円振り込まれます。

 

必死に仕事をする必要もありません。

 

 

当時は地球の裏側のブラジルでワールドカップが開催されていました。

 

地球の裏側なんで試合の放送は夜8時~朝10時の間の時間帯だったのですが、私は昼夜逆転生活を送り、テレビ中継されていた試合を全て見ていました。

 

試合がない日は雀荘に行って、一晩ずっとマージャンしてるなんて日もあったり。

 

とにかく堕落した生活してましたねー。

 

 

そうやって一人で遊ぶのが飽きたら今度は女性関係に走りました。

 

恋愛ノウハウを学んでいたので、合コンや街コンに行けばデートする相手を見つけるのはカンタンでした。

 

毎晩違う女性を自宅に連れ込んだり、女性の家にお泊りしたり。

 

空いている平日に隠れ家的な温泉に連れていてって、ちょっとした自由なお金持ちみたいな遊びをしていたこともあります。

 

私は23歳まで童貞だったので、遅れて恋愛にハマっちゃったんですよね。

 

 

他にも、コネを使って大曲花火大会を一番いい桟敷席で見たり、ホテルを一切予約せずに甲子園&関西観光をしてその日の気分で空いているホテルに泊まってみたり、かと思えば高級ホテルの星のやに宿泊してみたり、などなど。

 

 

ですが、もともと私は派手に遊ぶってのがあまり得意じゃありません。
(しかもお酒もビール1杯で真っ赤になるほど弱い(笑))

 

だからクラブみたいなバーで派手に飲んだり、夜更かししてワイワイ騒ぎ続けて朝帰りするってのは苦手でした。

 

なので、刺激的な遊びは一通りやって飽きてしまいました。

 

 

最終的には朝まで騒ぐなら早く帰って寝たいっす、みたいな感じで(笑)

 

 

そこで私は、なんかもっと落ち着いて遊べる仲間が欲しいなと思いました。

 

じゃあ、「ネットビジネス」を教えて自由な人を増やせばいいんだ!って考えついたんですね。

 

 

自分の経験上、「ネットビジネス」はラクではないけど誰もが成功していけるビジネスだ、と確信していました。

 

そして私は「ネットビジネス」を教えるセミナーやコンサルタントを始めました。

 

 

当時、仙台で「ネットビジネス」のセミナーをやっている人が少なく、セミナーを開けば、毎回簡単に満席になりました。

 

何度かセミナーをやって、1回のセミナーですべてのノウハウやマインドを伝えるのはムリだなと思った私は、本気でやりたい人には半年間の連続講座で付きっ切りで教えます、なんて企画を打ち出しました。

 

その企画は「なんとか私も入れてもらえませんか?」と満席になってからも問い合わせをいただくほどでした。

 

 

企画やコンサルが売れるようになると、私の月収は90万円を超え、年収1000万円ペースになっていました。

 

お金もある。

 

時間も自由。

 

私は勝ち組だ!とさらに思いました。

 

 

会社を辞めてから2年。

 

家で一人で紅茶を飲みながら「私の人生、幸せすぎる。」とぽわ~っとした満足感を感じるほど、自分の人生が順調だと思っていました。

 

 

このままでいい。

 

このまま生きていければ幸せな人生だ。

 

 

そのはずだったのに。

 

うまくいった人生の崩壊はあっという間でした・・・。

 

 

 

気付かぬうちに自分が人を裏切る側の人間に

 

裏切り

 

私が「ネットビジネス」を教える企画には、私を信じてくれたお客さんが集まっていました。

 

一人一人と何度もお話しし、その人に合った最適なノウハウを提供していきました。

 

その甲斐あって、

 

  • 最初パソコンすら持ってなかった人がたった1か月半で稼ぎ始める
  • 会社員をやりながら月商120万円達成
  • ビジネスの仕組みを知り、代理店ビジネスで独立

 

するなんて人が出ました。

 

 

しかし私は、心の中でとてもヒドイことを考えていました。

 

「よしこれでこいつらは一生俺の客だ!ずっとお金を貰い続けられる!」

 

ちょっと酷すぎますよね。

 

 

ですが、過去に見てしまった会社の父への冷遇やいじめの経験から、本質的に人を信じることができなくなっていたのです。

 

人ではなくお金を見てたんです。

 

人よりもお金を信じていたんです。

 

 

私は少しずつ、「どうやったらこのメンバーにコンサルを売り続けることができるか?」ばかりを考えるようになりました。

 

お客さんが成功するためでなく、自分にお金を払い続けるにはどうすればいいかを考えて、ノウハウやマインドを教えるようになりました。

 

 

すると、お客さんが少しずつうまくいかなくなりました。

 

今までバリバリ行動していた人の行動が止まり、稼げていた人の収入が落ち、お客さん同士で「あの人、やる気なさすぎじゃない?」との批判も出始めました。

 

当然、セミナーの雰囲気も悪くなります。

 

 

すると、ちょっと居づらくなってきたので辞めます、という人が現れ始めました。

 

 

私は、お客さんが減ったら自分の収入が減る!と焦り始めました。

 

 

そこで、すでに稼げている人・稼げそうな人だけでも収入を伸ばすことで、契約を続けてもらおうと考えました。

 

コンサル費以上のお金が稼げていれば、やめる理由が減るからです。

 

 

じゃあ、早く稼いでもらおうってことで、私はお客さんを煽るようになりました。

 

「早く行動してください。」
「何でやらないんですか?」
「やらないならいても意味ないっすよ。」

 

 

お客さんのためじゃなく、自分のために煽る。

 

こんなのただのいじめでした。

 

 

確かに私は起業して、父の人生とは全く違う道を歩み始めていました。

 

でも私は、父を冷遇した会社のように、人に冷たい人間に成り下がっていたのです。

 

いじめてきた学生時代のクラスメイトのように人を傷つけていました。

 

 

こんなはずじゃなかったのに。

 

父のような人生になりたくないっていったって、父を冷遇した会社のような冷たい人間にはもっとなりたくない。

 

本当は、ボロッボロの家に住んでいた頃の父が教えてくれた、ただ温かくて、ただ笑えていて、ここにいるだけで心が安心感に包まれる、そんな本当の人間関係を作りたかったはずなのに。

 

 

でも当時の私は、また自分が人から傷つけられる側に回るのが怖くて怖くて仕方ありませんでした。

 

だから、人より強くなって、人を支配して、逆らうことができない関係性を作ることしかできませんでした。

 

心のどこかで苦しいとわかっていても、それしかできない。

 

 

当然、お客さんはさらに離れていきました。

 

目の奥から怒りがにじみ出ている顔で「もう西村さんにはついていけません!」と言われたこともありましたね。

 

「私、そんな強い人間じゃないですよ・・・」とカフェでハンカチがグショグショになるくらい、お客さんを泣かせてしまったこともありました。

 

 

新しいお客さんを集めようと思っても、もう最初の頃にように上手くはいきませんでした。

 

セミナーを開いてもコンサル契約は決まらないし、次第にセミナーにもお客さんが集まらなくなっていきました。

 

 

私の収入は、会社員時代の月収を下回りました。

 

 

何をしてもうまくいかない。

 

もうこのままダラダラ過ごして、貯金が無くなったら再就職すればいいかなって思い始めました。

 

 

このままいったら、間違いなく人生が終わってしまう。

 

それぐらい精神的にも収入的にもどん底まで落ちていました。

 

 

結局、お金しか見ていないクソ最低な人間がなるべくしてどん底まで落ちたのですが、そんな私を救ってくれたのは今のメンターの言葉でした。

 

 

 

どん底の私を救ったメンターの言葉

 

救い

 

メンターとの出会いは、異業種交流会でした。

 

 

私はお客さんを見つける目的で、それまで何度か異業種交流会には参加してたんですね。

 

 

しかしその日は、明らかにいつもと雰囲気の違う人が立っていました。

 

その人の周りだけ空気が澄んでいるというか時間が止まっているというか、とても不思議なオーラのようなものを感じたことを覚えています。

 

当時の私は、スピリチュアルとか霊感とか胡散臭いモノって思ってたんですが、そんな私でも違いが分かるほどでした。

 

 

それが後に私のメンターになる方でした。

 

名刺交換するとき、心臓のドックンドックンという音が聞こえ、手には汗がにじみ、スッと時が止まるような、普段は感じない緊張感がありました。

 

 

そうしてメンターと出会った私は、メンターのセミナーに出たり、一緒に飲みに行ったり、コラボセミナーをやらせて頂いたりして、この人はスゴイ人っぽいぞって思い、メンターをお願いすることにしました。

 

実は最初、スゴイ人って気づかずに友達感覚で飲みに誘ってたりしたので、当時の自分の無神経さに驚きます(笑)。

 

 

そんなメンターから、ある日お茶に誘われます。

 

メンター「西村さん、最近どうですか?」

 

西村「ちょっとうまくいってないですけどすぐ復活します!」

 

私はメンターの前でも強がっていました。

 

メンターの前ですら弱みを見せるのが怖かったのです。

 

 

弱みを見せたら力で支配されるんじゃないか、

 

お金が無くなった瞬間に見捨てられるんじゃないか、

 

そう思って、心の中では小動物が恐怖に怯えるときのようにただただ震えていました。

 

ビビってるのがバレませんように、と。

 

 

しかし、そんな期待も打ち砕かれます。

 

メンター「本当ですか?本当にそれでいいんですか?」

 

西村「・・・・・・・・・(じんわり涙)」

 

メンター「正直に話してくだされば、私もお力になれるはずです。本当の意味で人を頼れるようになるのが大事なタイミングな気がしますよ。」

 

西村「ぶぉぅ・・・どぅうじだらいいのかばからにゃいんでず・・・(号泣)」

 

私は、自分の過去を全てお話ししていました。

 

自分の過去を話しながら、私は、小さい頃に両親に教えてもらったみんなが笑顔でいて、心が温かくて、安心感があって、自分が素でいれる、そんな人との繋がりがずっと欲しかったんだなって気づきました。

 

それをメンターに伝えると、「それです、それを目指しましょう、これから。」と言われました。

 

 

今までにない人生が始まる予感がしました。

 

価値観がガラッと変わり、完全に別人に、別の人生に、生まれ変わってしまう!ってぐらいの衝撃を感じていました。

 

 

そして、新しい人生を模索する日々が始まりました。

 

 

 

再出発

 

再出発

 

目指すものができたっていっても、じゃあ「あの幸せ」を実現するにはどうすればいいのか全く分かりませんでした。

 

ただ1つわかっていたことは、今の仕事のやり方は違うってことだけです。

 

だからまず、「ネットビジネス」を教えるって仕事を辞めようと思いました。

 

 

2016年秋、私は、この日のセミナーを最後にすると決めていました。

 

そのセミナーの参加者さんは、クズ人間の考え方だった私にもずっとついてきてくれていた大事なお客さんでした。

 

 

そしてセミナー終わりの懇親会。

 

いつもの居酒屋で日本酒を飲みながらこう切り出しました。

 

日本酒

 

西村
「もう、ネットビジネスを教える仕事を辞めようと思ってます。中途半端でゴメンナサイ。でも、お金じゃなくて「幸せ」を目指したくて・・・」

 

お客さんA
「何言ってんすか。西村さんのおかげで人生変わったんです!私は西村さんのおかげで「幸せ」に気付くことができましたよ。」

 

お客さんB
「私もです。だから、絶対、辞めちゃダメですよ!これから、西村さんを必要とする人が必ずいますから。」

 

お客さんC
「お金だって「幸せ」の中の重要な1つだと思います。西村さんにはお金から「幸せ」に導いてほしいです。そんな西村さんならもっとついていきたいですし。」

 

どんなに我慢しても涙が止まりませんでした。

 

私「あ゛びがどうございまず!!!(号泣)」

 

 

飲んでいた日本酒はちょっとしょっぱくなっていました。

 

 

私はネットビジネスを教える仕事を辞めることを辞めました。

 

やり方を変えて、この仕事で再出発しよう。そう覚悟を決めました。

 

 

とはいえ、最初はやり方すらわかりません。

 

ただ、全部を作り直す必要があることはわかっていました。

 

問題はどう作り直すか?

 

 

そう模索しながらセミナーを続けていたら、あることが見えてきました。

 

 

 

「「ちゃんと『私』を見て!!!」」

 

人の光

 

私は出来ることならたった1回のセミナーですべてを伝えたいとは思うのですが、どんなに頑張っても2時間ソコソコのセミナーですべてのノウハウや知識を伝えるのは難しいことでした。

 

だから、本気で変わりたい!本気で結果を出したい!って人には、私も長期間覚悟をもって一緒に成長していくためのプランを提示していました。

 

もちろん、仕事なのでお金を頂く話でもあります。

 

 

で、気付いたんです。

 

コンサル契約の話を出したときに、多くの人の目に恐怖感がにじんでいるってことに。

 

 

会社で他に替わりのいる歯車のように使われ続けることから逃げようと思ってビジネスセミナーに来たのに、ここでコンサル契約をしたら、結局主催者の利益のためにお金を払う人のうちの一人になるんじゃないか。

 

それって、替わりの駒がいる人生を繰り返すことになるんじゃないのか。

 

 

そんなの嫌だ!

 

「「ちゃんと『私』を見て!!!」」

 

 

そんな心の声が聞こえてきた気がしました。

 

 

そしてそれは、私がずっと思っていたことでした。

 

 

父が会社から冷たくあしらわれ、家族とのかかわりを捨て自分の世界に引きこもった。

 

家族が(精神的に)バラバラになっていった。

 

いじめられて、おもちゃとして自分が扱われている気がした。

 

 

『私』が消えているとき、ただただ苦しかった。

 

 

でも、家族がそれぞれを大切に想い、家族に一体感があるとき、そこに『私』が存在できていました。

 

 

ただ自分の承認欲求を満たすような、「私にかまって」とは違います。

 

 

実際にかまってあげられるかどうかは置いといて、ただお互いに大切に想っているだけでいい。

 

誰かを大切に想い、誰かから大切に想われる。

 

それが究極に『私』が存在している「あの幸せ」だ、と気づきました。

 

 

替わりのある駒なんて人は一人もいません。

 

誰もが『一人の私』として生き、周りからもそう思われ、愛されながら生きていく。

 

それが本来、私たち人間が豊かな人生を送る生き方だと思うのです。

 

 

近代社会になって、技術とか組織とかマーケティングとか、そういったものが進化して、現代は本来の人間としてのあるべき生き方がどんどん失われいってしまったように思います。

 

もちろん、技術とかが進歩したことで人間は物質的に豊かになれました。

 

 

でももう、物質的な豊かさは十分です。

 

いくらスマホの機能が進化したところで、それを完全に使いこなせる人は多くはありません。

 

普通に生活していく分の洗濯機や冷蔵庫などの家電は十分揃ってます。

 

 

だからこそ私たちは、今こそもう一度、失った精神的な豊かさを取り戻すべきだと思うんです。

 

これから未来で、精神的な豊かさと物質的な豊かさが統合したとき、私たちはより自然に笑顔で暮らすことができます。

 

 

ジブリに出てくるボロッボロの家でも、「あの幸せ」で心が満たされるってことを知りました。

 

あの日の心の温かさが続くなら、贅沢はしなくても最高に幸せ!と断言できるほどの光でした。

 

光

 

 

でも、人間の心は弱いです。

 

物理的に豊かになった今の世の中で、ボロッボロの家でもいいって心から思える人は多くはないでしょう。

 

 

 

だから私は決めました。

 

『私』を大切にしあうビジネスをしてお金を稼げる人を増やす、と。

 

 

「あの幸せ」をもっと多くの人と感じていたい。

 

一般的な家族って概念を超え、仲間全てを『家族』と思って過ごしていきたい。

 

人が人を大切にする社会を作りたい。

 

 

そしたらきっと、私もあなたも周りの人も、みんなが笑顔で過ごせるようになるはず。

 

無邪気な心で人生を楽しみ、ベッドの上で目を閉じるときに「私の人生最高だった、やり切った!」と思って最期を迎えられるはず。

 

 

新しい理想に気付いたとき、今までの過去の経験、

 

幼少期のジブリの家の幸せも、父親が癌になって家族が崩壊したことも、いじめられたことも、会社員で働きまくったことも、起業して一度小さな成功したことも、そのあと大きく落ち込んだことも、

 

全部必要なことだったんだなってことにも気づきました。

 

苦しかったけど、ムダなことではなかったんだなと。

 

 

だからきっと、あなたがもし何かで息苦しさを感じていたとしても、それはきっと何かで必要なことだから、大丈夫です。

 

もしかしたら、私のように最初のスタートを切るためのキッカケとしてそうなっているかもしれないし、何か人生を変える大きな気づきのためにそうなっているかもしれないし、こうして私と出会うためにそうなったのかもしれません。

 

 

どうつながっているかはわからないけど、無責任かもしれないけど、大丈夫、大丈夫です。

 

 

 

人が変わる瞬間

 

次のステージへ

 

こうして、仕事をする意識が大きく変わっただけで、仕事をしているときから大きな幸福感を感じるようになりました。

 

特に、お客さんが成長した瞬間(それは苦しくて暗闇の中にいる状態から光が見えて前向きになったときでも、お金が稼げるようになったときでも、やりたことができるようになったときでも)に立ち会えたときには、この仕事をやっていてよかったー!!!と強烈に感動します。

 

 

だからもう、とにかく人を育てること。

 

ただそれだけを極めていきたいって思ってます。

 

 

そういう意識で仕事をするようになってから、

 

  • セミナーをやったら参加者全員から「今までとは違う役に立つし楽しいセミナーでした!」と感謝メールが届く
  • メルマガを読んだ読者さんから「悩みが吹っ飛び前向きに何かやってみようと思えるようになりました!」なんて感想が次々届く
  • 実際に会って相談した方からは「ビジネスの相談だったのに、ずっと抱えていた闇から私を救い人生の光を見せてもらいました!」と言われる

 

なんてことが次々に起きました。

 

 

もちろん、ネットビジネスを教える方でも、初心者が2か月で結果を出したり、会社を辞めて独立する人が出てきたり、自分の仕事に応用して集客数を増やしたり、そんな人もいっぱいいます。

 

 

それでも、まだまだって思います。

 

これからもどんどん人生を変えたい!作り直したい!って人の背中を押していって、真の意味で社会が「あの幸福」で包まれるようにするのが私の夢です。

 

 

全員を大事に、全員の『私』を想う。

 

その上で仕事もします。

 

私の仕事は、『全員の『私』を想い、人を育て、人の人生を作り直す』ことです。

 

 

そしたら自然と真の意味で社会が「あの幸福」で包まれるようになっていくって思ってます。

 

 

これから、あなたの人生はどんどん変わっていきます。

 

ただ人生が変わるんじゃありません。

 

生まれ変わるほどガラッと、別人の誰かの人生に切り替わったんじゃないかってほど、大きく人生が作り直されます。

 

  • 収入の桁が変わる
  • 雇われずに好きなことで仕事をしていける
  • ただ一緒にいるだけで幸せを感じられる仲間と出会える
  • 大きなチャンスがどんどん舞い込むようになる
  • 助けてくれる人が現れる

 

こんなことが当たり前のように起きます。

 

 

人生を再スタートするのに遅いということはありません。

 

今までの人生はすべて必要だったものなのです。

 

 

人生を変えることに興味がなければ、きっとここまで読んでいないでしょう。

 

 

ぜひ、この偶然のご縁から始まって、これから一緒に真の自由を叶えていきましょうね。

 

 

私があなたに提供できるモノ

 

西村敏

 

じゃあ私が具体的に何ができるかというと、私自身は本当に何度もビジネスをゼロから立て直してきました。

 

会社員時代に人脈も知識も実績も何にもないところからスタートしたり、売上がほぼゼロになったところから立て直したり、売上が落ちてでも方針変更するんだ!と決めてイチからビジネスをやり直したり。(最近だと報酬1500万円の仕事がなくなりました)

 

すごろくで言えば5回くらい「ふりだしに戻る」マスに止まって、ゼロからやり直している感じです(笑)。

 

「なんでこんなに何度もゼロからやり直すことになるんだろう…」というのは本当に本当に不思議だし、苦しくて仕方ないです。

 

でも何回も繰り返して思うのは、私はゼロからビジネスを立ち上げたり、ビジネスの方針変更と立て直しで人をサポートするお役目があって、何度も何度もビジネスをゼロから作れるように経験させられているんじゃないかって思うようになりました。

 

 

何度もビジネスをゼロから立ち上げているからこそ、ゼロからビジネスを立ち上げる感覚だったり、ビジネスの方針転換をして売り上げが落ちてもそこから立て直したり、したい人には私の経験がお役に立てるんじゃないかなと思ってます。

 

ただビジネスをゼロから作るだけじゃなくて、ちゃんと相手の「私」を見て、周りの人に喜んでもらえるビジネスを作る。

 

そういうビジネスを作ったら、ビジネスしている自分も楽しく幸せになります。

 

だから、これから副業・起業する人や、今ちょっとビジネスやってるんだけどなんか違和感感じててなんか方針変更したいとか立て直したいという人は、ぜひ私と繋がってもらえたら何かお役に立てるんじゃないかと思ってます。

 

 

もちろん、ビジネスを通してちゃんと相手の「私」を見て、喜びや感動の生み出し方を伝えていくだけなので、その内容自体はビジネスをしていない人にもお役に立てる内容です。

 

自分のパートナーや友人と楽しく生きていきたい。
小さな気配りができる人間になりたい。
会社で仕事ができるようになりたい。

 

そういう人もウェルカムです。

 

 

お茶会とか直接お話できる機会を作っていこうかなと思うんで、まずはFacebookとかTwitterとかで西村敏をフォローしてもらえたら嬉しいなと思います。

 

こういうので偶然つながったご縁も大切にしていきたいと思っています。

 

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

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